アマゾン川ツアーを終えた後は、ブラジル中部の町『クイアバ』にやってきました。特に今の時期(雨季)においてはツーリストにとってこれといった見どころの無い町なのですが、語学学校(サンフランシスコ)に通っていた時の友人が住んでいるので遊びに行ってみました。
クイアバがある「マット・グロッソ州」は、大豆、トウモロコシ、絹の生産地として有名で、その友人もやはり農学者として仕事をしています。農産物の種を販売する会社で、農家へのコンサルタントをしているようです。
そもそもブラジルは、世界有数の農業生産国です。国土は広く、気候は温暖で、水資源が豊富という好条件が揃った土地を持っており、大豆やコーヒー、サトウキビは世界一のシェアを持っています。そんな訳なのでせっかくだからと、友人と共に農家訪問をしてきました!
クイアバから更に車で3〜4時間かけて、「ルカス・ド・リオ・ヴェルデ」という小さな町まで走ります。
途中で寄り道して『チャパダ・ドス・グイマラエス』という国立公園に寄りました。
なんとなくベネズエラのギアナ高地のような(行った事ないですが)、切り立った山々とジャングルが、圧倒的なブラジルの広さを感じさせます。
地球の歩き方にも載っていないような、さほど外国人に有名ではない国立公園でもこのスケールというのが凄いですね。
遥か先までジャングルが続いています。
それにしても、めちゃめちゃ暑い!!マット・グロッソは州全体が熱帯に位置していて、1年を通してほとんど30度を超えるそう。友人とは半年ぶりの再会でした。
翌日、早速農家へと向かいます。友人は農学者として農家へのコンサルタントを行なっており、今回訪れるのは顧客先の一つ。この辺りまで来ると、どこもかしこも農場で、車体が茶色に汚れた大型トラックばかりすれ違うようになってきます。
今回訪れたアルビスさんご一家は大豆を作っている農家です。ご一家、と言っても農場の規模はとてつもない大きさで、敷地に入ってから実際にご家族にお会いするまでは10分以上車を走らせます。見渡す限り一面が彼らの農場です。
友人は早速収穫したての大豆の様子を見にいきます。顧客と会話をしている様子を見ていると、とても和やかな雰囲気で会話をしていて、まるで友達同士のよう。
こちら、大豆を収穫するための農業機械なのですが、なんとこの機械に乗せてくれて、収穫の様子を見せてくれるとのこと!!ありがたい!
ちなみにこちらの農家はこの機械を10台お持ち。本当に規模が大きい…!
一面に広がる農場を往復しながら、どんどん収穫していきます。
前にあるローラーが回転して大豆を刈り取り、ベルトコンベアで車体内部に集めていく仕組みですね。
機体に集めた大豆は、いっぱいになったタイミングでトラックに積み込みます。この時期はトラックが列になって待っているというから驚きです。
農場見学の後は、友人の仕事が終わるのを待ってご家族の子供と一緒に遊んでいました。
すると「今からランチよ!」ということで、めちゃめちゃ豪華なお昼ご飯までご馳走になることに。牛肉好きのブラジル人、さすがです。しかもビール付き(笑)!友達の仕事を待っている間に酔っ払うなんて、なんか申し訳ないな〜笑
突然の謎の日本人の訪問を快く受け入れて下さっただけでなく、美味しいご飯とビールまで振る舞っていただき、アルビスさんご一家には本当に感謝です。
1年かけて旅をしていると話をすると「ここまでの旅の写真を見せて欲しい」ということで、1時間くらいかけて旅の経緯を紹介。本当に楽しそうに写真を見てくれます。
「これからアフリカに行くんです」と伝えると「アフリカは憧れの場所。私たちは行けないけれど、私たちの代わりに動物をいっぱい見てきて欲しい。写真を楽しみにしているね」と。
せめて写真で動物たちの姿を伝えることで、少しでも恩返しができれば、と思った瞬間です。
ところで、今や世界有数の農業生産国となったブラジルですが、農産業の成長には日本人も深く関わっていたことはご存知でしょうか。
さかのぼる事およそ100年前、明治から昭和初期にかけて非常に貧しかった日本は、国策として海外への移民を進めました。そこで受け入れ先となったのが、当時人手不足だったブラジル。1908年に781人の日本人が、神戸港から2ヶ月近くかけてブラジルへと渡り、あらかじめ契約していたコーヒー農園で働き始めました。
しかし、実はブラジルにおける労働力需要というのは「黒人奴隷の解放」に伴う労働力不足の補完という意味合いがあり、移民達の居住環境は悪く、労働は過酷で、不当な賃金や待遇が彼らを待っていました。当然ストライキや夜逃げをした人たちも多く、そういった人たちで資金を出し合い共同で農地を取得し、自ら農業を始めることも多かったそうです。
ただでさえ異国の地でそんな苦境に立たされつつも、彼らはそんな状況を打破しようと必死に努力し、農業組合を設立し、生産性の高い農業を実現し、それまで「不毛の大地」と呼ばれていた土地を開拓したりと、ブラジル農業の成長に大きく貢献しました。日本人が「農業の神様」とまで呼ばれた時期もあったようです。
その後も移民は続き、今では160万以上の日系人がブラジルに住んでいると言われています。ブラジル最大の都市サンパウロには日本人街もあり、ブラジル人にとって日本は非常に親しみやすい国となっています。国と国の距離感は、こういった歴史も影響して形作られていくんだな、と感じるものです。
さぞかし壮絶な日々だったのでしょう。先人達のたゆまぬ努力に感謝です。
Sohta Yamaji
1985年生まれ、大阪出身。
約1年かけて世界を旅しています。
大人の社会見学最高ですね!
全然ケープタウンまで辿り着かないですね😂
最高やろ!いよいよ次回はケープタウン編です!