キリマンジャロ登山を終えた後はバスで2日かけて東へ向かい、隣国『ルワンダ』へ向かいます。
アフリカは幹線道路沿いにも人々の生活が広がっているので、陸路の旅が面白い。バスに乗っていると昼間っから道路沿いでビールを飲んでいるおじさん達、遊びまわる子供達、バスのトイレ休憩に合わせてお菓子を売り込んでくる人たちと、人々のリアルな生活を垣間見ることが出来ます。
ちなみに途中の休憩所で食べたチキンスープで軽く腹を壊したようです。このチキンは出汁を取るだけで普通は食べないのかな、、いや、みんな食べていた気がする。
とにかくようやく、ルワンダの首都『キガリ』に到着。人口100万人以上の都市です。ルワンダは緑豊かで、日本の田舎にいるような心地よさがあります。
ルワンダと聞いて、多くの人は1994年に起きた“ジェノサイド(ルワンダ虐殺)”を思い浮かべると思います。映画『ホテル・ルワンダ』を観たことがある方も多いかもしれません。
南アフリカのアパルトヘイトと同様、これは近代における歴史的悲劇です。1994年4〜7月までの100日間で、多数派のフツ族(85%)が少数派のツチ族(15%)及び穏健派のフツ族およそ80万人を殺害するという事件がおきました。
ジェノサイドは紛争ではありません。ジェノサイドの定義は「国民的、民族的、人種的、宗教的な集団の全部または一部を破壊する意図をもって行われる集団抹殺行為」です。争いことではなく、一方的な抹殺行為です。
この国に来たからには、しっかりとこの歴史に向き合いたいと思っていました。
キガリには『ジェノサイド・メモリアルセンター』という記念館があり、そこで当時の詳細を知ることが出来ます。そこに記されている内容は、思わず目を背けたくなるほどです。
1994年4月7日、ラジオで「ゴキブリどもに情けをかける必要はない。祖国からゴキブリを一掃せよ!」と言ったメッセージが流れると共に、フツ族は信じられないほど残虐な方法でツチ族の殺戮を進めました。彼らはツチ族をゴキブリと呼びました。ツチ族は、自分が住んでいる村や町で、隣人に鉈(ナタ)や釘バットのようなもので体を叩き切られ、強姦・拷問を受けてから殺されました。
犠牲者は“逃げられないようにする”ため手足を切断され、多くの女性は“意図的にHIV感染者にレイプ”され、子供達は木や石に叩きつけられました。親は自身の子供を殺すことを強要され、学校では先生が生徒を殺しました。80万人が殺害され、また、報復を恐れたフツ族も含めて約300万人が国外へと逃げ込み難民となりました。
ジェノサイド・メモリアルセンターでは、その生々しい描写が書かれており、合わせて衝撃的な写真が展示されています。
たった20年前の話です。もちろん僕も生まれている時代に起きています。どうなれば人はこれほど異常な行動が出来るのだろうか。狂っているとしか思えません。想像するだけで震えるほどに恐ろしい出来事です。
キガリから車を30分ほど走らせれば、そこにもジェノサイドの爪痕を残す『ニャマタ教会』と『ントラマ教会』があります。僕はキガリからバイタクチャーターで行きました(5000RWF)。
ントラマ教会は、避難していたツチ族5000人が殺害された場所です。当時犠牲者が着ていた服が展示されている他、その時亡くなられた方の骨が地下室に保存されています。建物には手榴弾の焼け跡なども残っていて本当に生々しいです。
ントラマ教会から車で10分弱のニャマタ教会。ここでも約1万人の人が亡くなっています。中に入るとガイドが中を案内してくれます。
キガリから車を数時間走らせればたどり着ける『ムランビ・ジェノサイドメモリアル』は、キガリの記念館に次ぐ規模です。
ここは元々学校だったのですが、ジェノサイドの最中「ここに来ればフランス軍の保護が受けられる」と聞いたツチ族が多数避難しました。しかしフランス軍は彼らを助けることはなく、最終的に約4万5000人もの方が殺害されました。
ここでは、その時亡くなった方の死体が保存されています。腐らないようにライム漬けにされた死体達は死臭と合わせて強烈な匂いを放っており、近寄り難いほどです。記念館にそういった形で死体を保存するのが一体どういう意味を持つのかはっきりとは分かりませんが…少なくとも強く印象を残します。
あらためて驚くのは、ジェノサイドがあったのはわずか24年前だということ。今ルワンダで暮らしている24歳以上の誰もが、その場にいたのです。その地獄の日々を経験しているのです。みんな、いまも普通に生活しています。決してごく一部の狂人者の間で起こった出来事ではありません。
普通に生きて普通に生活している人が、ある時にはこれほどの行為が出来るなんて、もはや信じられないほど。洗脳か、群集心理か、極度の恐怖心や緊張感か。
少なくとも、どんな要因であれど「人間は悪魔になりえる」という事を、僕らはちゃんと認識し続ける必要があるのかもしれません。ナチスによるホロコーストも、ポル・ポト政権による大量殺戮も、ルワンダのジェノサイドも、僕らと同じ人間が起こした出来事です。人が持つモラルなんてものは、究極的には信頼出来ないと思います。人間は悪魔になりうる、その前提で、そういった事が起こりうる「状況」を避ける必要があると思います。
ジェノサイドも、それまでずっと仲良くしていたツチ族とフツ族の間にいきなり亀裂が入った訳ではありません。そもそも昔は両者間の婚姻も許されていた為混血も進み、両者は厳格に区別されていなかったようです。
事の発端は第一次世界大戦前後、ドイツと、その後のベルギーによるルワンダ支配が始まりです。当時のヨーロッパの手法に倣って、彼らは現地住民を民族区分によって分断し、少数派の民族に多数派を支配させるという「二重支配」を試みました。
つまり、少数派(ツチ族)に多数派(フツ族)のマネジメントを実質的に委ねる事で、彼らの不満の矛先をツチ族に向かわせながらルワンダの植民地経営を行うスキームを作ったのです。
その為にベルギーは、ルワンダ国内全ての人間を人種分けし、それを記した身分証明書を発行しました。当時は自らの出身すら知らない人も多かったのにも関わらず「家畜の数を何頭以上もっているからあなたはツチ族」というように無茶苦茶な方法で民族分けしたようです。そして「ツチ族は白人の血をひく“優等民族”である」という差別観のもと、ほぼ全ての支配者層をツチ族に任せていきました。言うまでもなく、フツ族の不満はどんどん高まっていきます。その経緯が、フツ族による『報復差別』に繋がっていったのです。
ジェノサイドは、起こるべくして起こった悲劇です。
この状況は、ナチス・ドイツによるホロコーストの後も続いていました。ベルギー国内では、ユダヤ人迫害にも通ずる人種差別的な統治法をアフリカで実施している事に対する疑問もわきあがっていたようです。もしこの時に国際社会が介在していれば、ジェノサイドは起こらなかったかもしれません。どういったキッカケや兆しが悲劇につながるのか、ということを知っていれば、こういった悲劇は必ず防げるはずなのです。
だからこそ、こういった歴史はしっかりと語り継がれていくべきだと思います。私たちは、いつまでも「人間は悪魔になりうる」ということを決して忘れてはいけないと思います。
※『ホテル・ルワンダ』の舞台になった「ホテル・ミルコリンズ」にも行きました。今は当時の面影は全く残っておらず、とってもモダンな素敵なホテルです。
そんな本当に辛い過去を持つルワンダですが、今では「アフリカの奇跡」と言われるほどに大きな変化を遂げています。
…次回に続く!
Sohta Yamaji
1985年生まれ、大阪出身。
約1年かけて世界を旅しています。
帰国しました!ブログ書きます!笑