マットグロッソでの農場見学を終えた後はサンパウロへ。そこからはいよいよアフリカへ飛びます。アフリカ最初の地は南アフリカ共和国『ケープタウン』です。
実は、ケープタウンには3週間ほど滞在する予定です。「観光を兼ねつつちょっとだけ英語学校に通う」というのが、少し長く滞在する理由です。
アフリカで英語を学ぶというのは意外な感じがするかと思いますが、南アフリカはイギリスの植民地であった事もあり英語は公用語。特にケープタウンにはイギリス系の白人も多く暮らしており、彼らはネイティブスピーカーです。
旅をしていると常に英語力不足を感じます。例えば、英語ガイドの話している内容を部分的にしか理解出来ない(主に単語力不足)。ネイティブスピーカーのスピーキングがほとんど聞き取れない(主にリスニング力不足)。
自分が望むレベルに達するには長期的に英語を学び続けないといけないと思っていますが、その一部として、ここでほんの少しですが勉強期間を設けることにした訳です。
また、南アフリカは僕の尊敬するネルソン・マンデラ氏がアパルトヘイトと戦った国という事で(勝手に)親近感を感じていますし、アフリカの雰囲気を感じつつも快適に過ごせるという事で、せっかくだから少し長めに滞在しよう!いう事で決めました。
ちなみに「語学留学」という側面についてはここではあまり触れませんが、結論から言えば“とても良かった”と思っています。語学留学を検討している人にはオススメしたいくらいです。理由は3つあって、
・他のネイティブ留学先(アメリカ、カナダ、オーストラリアなど)と比較して安い。長期滞在をすれば学校+ホームステイで月20万円前後。
・ネイティブスピーカーが講師でありながら少人数クラスで学べる(1クラス5人前後)。
・ホストファミリーがネイティブ(アメリカやカナダでは、アジア系移民がホストになる事が多い。もちろん彼らは英語を話せるが、アクセントが独特だったり、話すスピードがかなり遅かったりする)。
もちろん上記は学校にもよると思いますが、僕はとても充実した時間を過ごせました。
そして何より良かった点は…ケープタウンが、めちゃめちゃ良い街!!という事です。
何が良いかというと、気候が良くて街が洗練されていてすぐ近くに綺麗なビーチと山があって飯が美味い!!
最高じゃないですか?これらが揃った街って他にどこがあるのだろう…ブラジルのリオ・デ・ジャネイロ?オーストラリアのメルボルン?福岡?
とにかく、めちゃめちゃお気に入りの街の一つになりました!
さて、こちらはケープタウンの人気スポット『ウォーターフロント』。大型のショッピングモールからレストラン、民芸品マーケットまで何でもござれのエリアです。もうすでに、めちゃめちゃ洗練されてます。いわゆるオシャレスポット。学校の友人達とよくここでビールを飲んでました。
ここでは毎日、アフリカンミュージックのライブが行われています。いやあ、来ましたね、アフリカに!
ウォーターフロントからは、迫力の『テーブルマウンテン』が見えます。地元っ子もみんな誇りにしているケープタウンのシンボル的存在です。
そこから車で10分ほど走らせると、大西洋に面した広々としたビーチが広がっています!ここは特にヨーロッパ人に人気で、街を歩いているとドイツ人だらけです。ここにもまあ、オシャレなレストランやカフェが並んでいます。
ちなみにここの海は、水温が低すぎるので泳ぐのには適していません。たまにヤンチャなおじちゃんや子供が泳いでいますが、基本的にはみんなビーチでゆっくりしています。
もちろんビーチで見るサンセットも最高!
さて、街のシンボル『テーブルマウンテン』ですが、ケーブルカーか徒歩で頂上まで行くことが出来ます。
ケーブルカーで登るのが最も一般的ですが、せっかくなのでトレッキングで登りました。いくつかコースがありますが、だいたい3時間前後の道のりでしょうか。
テーブルマウンテンは標高1087m。頂上に着くと、ケープタウンで最も高い位置に来た事になります。
街を見下ろすと、これぞ絶景!左にはもう一つのケープタウンのシンボル『ライオンズ・ヘッド』が遥か下に見えます。
もちろん、ライオンズ・ヘッドにも登ることが出来ます。
こちらが『ライオンズ・ヘッド』頂上からの景色!こちらもほんと絶景です。個人的には、より街がクリアに見えるのでこちらの方が好きですね。
ライオンズ・ヘッドの頂上までは歩いて1時間ちょっと。気軽に登れる距離感が嬉しい!
ここからは逆に、テーブルマウンテンが右手に見えます。
サンセットの時間に行くのがオススメです。
また、ケープタウンでは所々でフード・マーケットが開催されます。僕は結構これにハマりました。ここはケープタウンから車で10分ほどのおしゃれエリア『ウッドストック』にあるマーケット(毎週土曜日開催)!
こんな美味そうなパエリアから焼きたてピザ、韓国料理に中華料理、もちろんアフリカ各国の料理まで、様々な料理が揃っていて飽きる事なし!
思い出すだけでヨダレものです。
別のマーケットでは、オールナイトのJAZZフェスが行われていました(無料!)。ニューヨークか!
さらにさらにケープタウンは、実はワインの産地としても有名です!車で30〜40分ほど走るとワイナリーが並んでいて、ワイナリー巡りを楽しむ事も出来ます。酒好きにもたまりませんね。
ケープタウンのワインはサラっとして飲みやすいです。ヨーロッパ人にとってはやや物足りない様子でしたが、酒があまり強くない僕としてちょうど良いくらいです。
車を1時間ほど走らせると、ケープ半島の岬『ケープポイント』があります。
一面に広がる大西洋。最高に気持ち良い!!
ケープポイントの近くには、ペンギンが集まる事で有名な『ボルダーズ・ビーチ』があります。この数!この距離感!
ちょ…。歩き方かわいすぎるやないか!!
さすが「マザーシティ」と呼ばれ親しまれている街ケープタウン、包容力が半端じゃありません。
気になる物価は、アフリカの中では高い方ですが、日本やヨーロッパと比べると随分安いです。バスを使えば100円以下で街中を移動出来ますし、その辺のピザ屋(美味しい!)でビール飲んで食べて1000円前後です。土日を使ってサファリに行く事も出来ますし、見所もたくさん!
いやあ、本当に住みたくなりました。素敵な街です、ケープタウン 。
さてさて一方で、南アフリカ共和国は『アパルトヘイト』という非常に悲しい過去を持つ国でもあります。
アパルトヘイトは、南アフリカで1948年に実施された政策で、白人とそれ以外の人種を分け、選挙権から教育、就職、住居などあらゆる点で人種差別を行うものです。
黒人は環境の悪い地域に強制的に移住させられ、まともな教育は受けられず、バスも電車もレストランもトイレも全て黒人専用のものしか使えませんでした。もちろん全てにおいてハイクラスなのは白人専用の方で、白人専用の施設に入った黒人は即逮捕されました。法律で堂々と人種差別する、というかなり異常な政策です。
当然ながら国際社会の批判は徐々に強まり、世界中で反アパルトヘイト運動が起こり、最終的には1994年の全国民による総選挙でアパルトヘイトは完全に廃止となりました。その時に大統領に就任したのが、それまでアパルトヘイトと戦い続けていたネルソン・マンデラです。
さて、アパルトヘイトが廃止となってすでに20年以上経ちますが、実は今も多くの黒人が当時の移住区(タウンシップと呼ばれています)に住んでいます。
せっかくなので、実際にタウンシップ出身のガイドと一緒に現地を回るツアーに参加しました。タウンシップはいくつかのエリアに分かれていて、今回訪れたのはその一つ。今でも何十万人という人たちが住んでいるとの事。
今でも街で仕事を見つけられない人はたくさんいて、タウンシップ内でビールを作ったり、洗車したりして生計を立てている人も多いようです。
ヤギの頭やニワトリの頭を焼いて売っている人たちも。ニワトリの頭は試しに食べてみましたが、あまり身が無くて、特に美味しいくは無かったです。
その後はタウンシップの中にある居酒屋的な場所にお邪魔することに。とにかくみんな仲が良さそうです。タウンシップ内では互いに支え合って生きていて、強いコミュニティが出来上がっているようです。例のタウンシップ産ビールも飲ませてもらいましたが(写真のバケツを回し飲みするだけです)、これまたあまり美味くは無かったですね…
とあるご家族を訪問。今の生活についてなど語っていただきました。アパルトヘイト廃止後「ちゃんとケープタウンの中に住めるように計らう」と言った政府の言葉を信じてきたものの、いつになっても変化がないことに対して非常に残念に感じている、と仰っていたのが印象的です。
今でも、非常に劣悪な環境で暮らしている人たちが大勢います。
ですが実は一方で、自身でビジネスを立ち上げて成功している人など、タウンシップ内にはお金持ちも一定数いるようで、所々に高級車が止まっていたのは意外でした。
もちろんその人たちはタウンシップから出る事も出来るのですが、結局タウンシップの中に強いコミュニティが出来上がっているので、あえてタウンシップに住み続けるパターンも多いようです。
ツアーに参加した翌日。学校の友人が、たまたま街で出会ったタウンシップ出身の方と仲良くなったという事で、続けてタウンシップにお邪魔し、バーベキューをご一緒することに。こちらの方々は医療系の仕事に就かれていて、身なりもオシャレ。一口にタウンシップといっても、かなり格差があるようです。これまた非常に貴重な経験となりました。
いずれにせよ総じて感じるのは、まだまだ南アフリカでは肌の色による差は歴然としてある、ということ。基本的にオフィスで働くホワイトカラー職は白人が圧倒的に多く、レストランのウエイターや運転手などのサービス業は黒人ばかりです。レストランの時給は100円ほどです。そういった差が無くなるまではかなり時間がかかるのだろうな、と感じました。
ところで、先にも述べた南アフリカ元大統領『ネルソン・マンデラ』氏は、そんなアパルトヘイトと戦い続けた、この国の英雄です。いや、アフリカ全体の英雄の一人です。南米のチェ・ゲバラみたいなものですね。
マンデラ氏は若い頃から反アパルトヘイト運動に身を投じ、1964年に国家反逆罪で終身刑の判決を受け投獄されます。27年間の獄中生活の後、世界中から求められて1990年に釈放。そして1994年に南アフリカの大統領になりました。
僕はネルソン・マンデラの映画や本をたくさん読んで、見てきましたが、この人は本当に「哲学」の人だと思います。(映画『インビクタス 負けざる者たち』は特におすすめ!)
27年間の獄中生活。出た時には70を超えたおじいちゃんです。ですがこの27年間で、氏はもはや悟りの境地に達しているように見えます。
獄中では、多くの白人が使っていた「アフリカーンス」という言語を習得し、看守たちの対話を大切にします。そこで黒人も白人も意思が通じ合うという事を実感したそうです。
1994年、ついに大統領に。初の黒人政権に沸く黒人たち。一方で、これまでの差別に対する報復を恐れる白人たち。そんな中で、マンデラ氏は「許しによる融和」を掲げ、むしろ怒り狂う黒人たちを諭しながら、新たな国づくりを行いました。
そのスタンスは、まさにリーダーシップの鏡。「リーダー」というものは、いわゆる知識や経験よりも、何よりも思想が重要なのだと認識させられます。政治経験を積んできたのではなく、27年の獄中生活の中で、ひたすら自らと対話し、思想を巡らせ続けてきたのだと思います。
ブラジルから南アフリカに到着した時、ヨハネスブルグの空港にはすでにマンデラ氏の像がありました。
ケープタウンからフェリーで1時間ほど、かつてマンデラ氏が投獄されていた刑務所『ロビンアイランド』があります。1959年以降、マンデラ氏を含めた政治犯が主に収監されていて、今は「負の遺産」として世界遺産にも登録されています。
元囚人の方が案内をしてくれます。
マンデラ氏が投獄されていた部屋です。毎日この場所で眠り、窓の外に見える庭で働かされて、そんな中で思考を磨き続けていたんですね。本当に敬服します。
ところで、そのマンデラ氏の次の次の大統領が、今年2月に辞任した『ズマ大統領』。これがまた非常に曲者で、汚職疑惑にまみれているお方です。なんと汚職嫌疑数は783件!そもそも大統領時にはレイプ疑惑もあったみたいです。汚職のみならず、この国の経済はここ数年成長出来ず、格差はとてつもなく広がっている現状。そんなズマ氏が約10年も大統領を務めていました。10年以上続いていたのが驚きです…。
僕がホストマザー経由で知り合った何人かの南アフリカ人は、彼を含めた政治への圧倒的な絶望感から、他国への移住を真剣に検討していました(オーストラリアなど)。「もうこの国の政治に疲れたのよ」と言っていたのが、すごく印象に残っています。
アフリカでは、政府や指導者の腐敗がいつも深刻な問題です。
僕らのような短期滞在者には、本当に素敵に見えるケープタウン。でも、国としては本当に様々な課題を抱えているようです。
少しでも早く、マンデラ氏が思い描いたであろう理想の国に近づいて欲しいと願います。
Sohta Yamaji
1985年生まれ、大阪出身。
約1年かけて世界を旅しています。
ついにブログ登場を果たしました🙌笑
ご登場、ありがとうございます!!笑